このサイトは、情報デザインの立場からピクトグラムの歴史研究とその成果を現代のピクトグラムのデザインに活かす方法を探ることを目的に開設しました。ピクトグラムの歴史研究といっても、先史時代から現代までを含むような壮大な括りではなく、ここではごく限られた時代と地域、すなわち1930年代以降の北米を出発点にします。

なぜこの時代のこの地域なのか。オーストリアの社会経済学者オットー・ノイラートが中心となって構想し実践した「アイソタイプ(ISOTYPE: International System Of Typographic Picture Education)」との関係を念頭においてピクトグラムの歴史を扱うからです。この方法には批判もあると思います。ピクトグラムはアイソタイプ以外にも道路標識や、地図用図記号など、さまざまな領域で展開しており、その流れはアイソタイプに限定されるものではないからです。けれども、ピクトグラムが印刷や展示、さらには映像のメディアを舞台としてかつてないほどメッセージを雄弁に語りはじめた時代は1930年代であり、その背景にはアイソタイプの影響が大きいと考えています。アイソタイプの中心的な表現形式は「図像統計」でした。この表現形式は、道路標識のような単純な情報伝達の水準を超えて、複雑な数量を表したり、より複合的な物語を構築したりできます。1930年代はアイソタイプが規範的に示したこうした能力が注目され、世界的にある種の文化——「ピクトグラム文化」と言えるような拡がりを見せ始めた時代だったのです。

アイソタイプの影響がもっとも強かった地域は北米でした。アメリカで大恐慌の克服のために実践された「ニュー・ディール」の方針がこうした表現形式を必要としたことが大きな理由です。しかしそれ以上に重要なのは、ルドルフ・モドレイというウィーンの社会経済博物館というアイソタイプが生まれた組織に関わり、渡米して活動した人物の存在です。モドレイは1930年代から米国でピクトグラムを用いた視覚化サービスの活動をはじめて同地でこの動向の中心人物となります。のみならず、彼は1960年代からピクトグラム標準化に向けての活動に尽力しており、アイソタイプの時代と現代の標準化されたピクトグラムとの間を架橋する貴重な存在なのです。

Handbook of pictorial symbols
Handbook of pictorial symbols

こうしたモドレイの活動の特徴をよく示している書物が現代でも手近にあります。モドレイの『ピクトグラフィ・ハンドブック』(1976)です。いまでも邦訳が入手可能なこの本には、前半に1930年代から40年代にかけてモドレイの会社が制作した多様なピクトグラムとアイソタイプのシンボル、後半に標準化が推進されていた時代のピクトグラムが、それぞれ収録されていいます。ここでは、とりわけ前半のモドレイの制作したピクトグラムに注目します。なぜならそれらは、実に多様な形態のヴァリエーションが作られてきたことを示しているからです。これらは標準化以前に作られたピクトグラムであり、その様相は、標準化を最終目標とする見方から見ると「カオス」でしかないかもしれません。しかし、いま改めて見直すと、実践的な要求はもとより、ピクトグラムに隣接した視覚文化との相互関係から生み出された多様性であり、カオスとして蔑ろにはできない特性があるように思えます。しかし、このことを理解するには、この時代にピクトグラムが用いられていた文化的背景を探る必要があります。

このWebサイトでは、そうしたコンテクストとして、図像統計はもとより、同時代のイラストレーションやコミック、さらにはアニメーションといった北米ならではの特徴的な文化との接点に着目します。また、たんに歴史研究にとどまらず、今後はそれによって、標準化への経路とは異なるピクトグラムのあり方を探り、現代のピクトグラムへの示唆を得ることを目指します。そのために「ピクトグラム研究会」という少人数のグループで運営し、これから順次ドキュメントを追加していく予定です。

伊原久裕(九州大学大学院芸術工学研究院/ピクトグラム研究会主宰)

このサイトは、科学研究費(基盤研究C)「アニメーションによる情報デザインの史的研究:アイソタイプ映画と同時代の情報映画」の支援を受けて制作されました。