2.Philip·ラーガンとSociographics·Philadelphia
1930年代のアメリカで、アイソタイプが知られるようになると、このアイデアに基づいて統計図を制作するデザイナーが数多く登場したが、なかでもピクトグラムの独特のデザインによって目立つ存在だったのがPhilip·ラーガンであった。生年は1909年で没年は1989年であり、ペンシルバニア大学建築学部建築学科の卒業生である。在学中にパリのエコール·デ·ボザールに留学した経験を持っていたようだが、ある新聞資料によると、パリでは演劇デザインを学んでいたと紹介がある。彼のピクトグラムが幾何学形態を基調としたアールデコスタイルを連想させるのも、そうしたパリ留学の影響があるのかもしれない。
ラーガンの名前が出版物などで確認できるのは大学卒業後間もない1934年からであり、同年の7月に発刊されたペンシルバニア州労働産業局紀要特別号が、その最初の業績である(Carr, 1934)。この小冊子では失業者、労災補償などの大恐慌の実情とそのための対策の効果に関する統計データがアイソタイプに影響された技法で可視化された多数のチャートが掲載されていた(図2)。
この紀要には、これらのチャートがペンシルベニア大学建築学部関係の失業建築家たちを中心とした19名の「Sociographics Philadelphia(以下「ソシオグラフィクス」と略記)」という名の建築家グループがラーガンの主導で担当したことが記されている。また、この仕事がCWA (Civil Works Administration)、すなわちニューディールの失業対策のために実施された公共事業の一環として実践されたとあり、プロジェクト自体が失業対策の一環であった。この事実は、ラーガンら建築家たちが図像統計の制作を始めた背景には、彼ら自身の失業問題があったことを示している。じっさい、建築は不況の影響を強く受けた職種であり、設計にありつける建築家も限られており、そのため建築以外の仕事を手がける建築家も少なくなかったのである。
CWA自体は34年の7月に終了し、その後はニューディールの代表的な失業対策事業であったWPA (Works Progress Administration)(雇用推進局)に引き継がれるが、ラーガンを中心としたソシオグラフィクスは、その後も、労働産業局がスポンサーとなってペンシルバニア州のWPAに申請し認可されたプロジェクトや、労働産業局の出版する印刷物のためのデザインやチャートのデザインを中心に活動を継続している。
1937年7月から38年の12月まで実施されたPhiladelphiaでのWPAプロジェクトとして労働に関する調査と分析が実施されたが、その特色は統計調査とそのグラフィック表現を一括したプロジェクトとして実施する点にあった。こうして作成された多数のチャートを掲載した印刷物が労働産業局から発行された。なかでも同局の月報が1937年の5月から名称を“Laborgraphic“に変え、ソシオグラフィクスによってチャートはもとより、表紙デザインを含む全体がデザインされていた(Department of Labor and Industry, 1939, p.32) (図3)。この雑誌は8号まで刊行後に休刊、後継誌として紀要の“Keystone Labor and Industry”が3号ほど発刊された(図4)。このブレティンも引き続き、全体のレイアウト、表紙、チャートデザインの一部をソシオグラフィクスが担当していた。
以上のようにラーガンとソシオグラフィクスは、1930年代前半はフィラデルフィアを拠点にローカルな活動を中心にしていたが、1938年頃になると全米規模の活動を行うようになる。そうした仕事として、『Now modern age book』 叢書の一冊として出版されたWPA行政官のネルス・アンダーソン(Nels Anderson , 1889–1986))の著書『The right to work』のエディトリアルデザインとイラストレーションがあげられる(Anderson 1938)。またクレジットはないものの、同年出版された『Inventory of the WPA』に見られるWPAの成果を可視化した統計イラストレーションもソシオグラフィクスのものであろう(Works Progress Administration, 1938)。こうしてラーガンが中心となって活動したソシオグラフィクスは、1930年代後半にはアメリカにおいてアイソタイプの技法を使いこなす代表的グループとして知られるようになった。
ソシオグラフィクス によってWPAを中心に実施された仕事で制作されたチャートのテーマは、失業の実態、労働災害問題とその保証など大不況の時代の社会経済の課題であることから、ラーガンらのアイソタイプへの関心は、単にグラフィックへの関心のみにとどまらず、アイソタイプを社会経済事象のための視覚教育の方法として提唱したノイラート自身にも向けられていたと推測される。そのことを示唆する事柄としては次のものがある。ノイラートは1936年9月に渡米し半年間滞在したが、同年11月にニューヨークで開催された国際労使関係研究所(International Industrial Relations Institute (IRI))の年次大会において彼の講演会が開催された。講演の題目は「実物計算と図像教育」であり、経済学者としてのノイラートは、彼の持論である実物経済(Economy-in-kind)をアイソタイプと結びつけて社会経済事象の視覚化の意義について論じた(Neurath, 1936)。講演会の出席者名簿にはラーガンの名前が記載されていたことから(図5)、ラーガンはこの会合に出席し、ノイラートを間近に見たと想定される。もちろん、この事実のみでラーガンのノイラートの活動へ関心の度合いを測ることは難しい。また、とりわけノイラートの社会主義的な思想そのものにラーガンが関心を持っていたかどうかを判断することもできないが、ラーガンのノイラートへの関心のなかには、経済的社会的事象の可視化という具体的なアイデアが含まれていたことは確かであろう。
他方、ラーガンはモドレイとも何らかの関係を持っていたようである。モドレイが1934年に設立したピクトリアル統計社の最初の大きな公共的仕事であったミシシッピコミッティの報告書のチャートデザインには、ラーガンのチャートも含まれていた。モドレイはアメリカにおける図像統計の流行について言及しているが、そのなかでラーガンの制作物の評価について「アートワークは非常によいが、統計的なトランスフォーメーションは常に明確とは限らない」と、デザインは評価しつつも統計データの可視化の技法としては不十分と、穏健な調子で批評している(Modley, 1937, p.134)。1934年から37年のあいだにかなり大量に制作されたソシオグラフィクスのチャートを見る限り、確かに単調な構成が多く、統計グラフとしての質にはムラがあるように思える。
こうした問題が散見される図像統計としての側面は別として、ソシオグラフィクスの仕事を魅力的にしているのが幾何学的抽象形態に基づいたそのピクトグラムのデザインである。こうした特徴の有効性は、統計よりもダイアグラムやイラストレーションに特に見いだすことができる。先に言及した1938年以降の仕事である『The right to work』のための図版デザインでは、統計グラフではなくもっぱら連続したシークエンスで構成された図像が用いられているが(図6)、それは冒頭で紹介したモドレイの「ピクトリアル・ダイアグラム」に近い表現形式だ。このダイアグラムは合衆国の支援が資本家、工場、労働者のいずれかに向けられる場合の三つのケースを比較したもので、労働者の購買力を高めることで、生産消費のサイクルが回復することを図解している。この図解のもととなったと思われるダイアグラムは、1936年に制作された『One year of WPA in Pennsylvania 1935 – 1936』でも確認できる(図7)。
先に言及した『Inventory of the WPA』もイラストレーションにほぼ特化した仕事であり、各セクションの扉には、WPAによって実施された仕事の種別がイラストレーションによってシンボル化されている。図の下端に、予算全体のなかでの種別が占める割合を示す統計データも併置されてはいるが、特に工夫はされていない(図8)。
Table 1 ラーガンによるグラフィック作品(未完)
Year | Month | Title | Design Credit | Client |
---|---|---|---|---|
1934 | July | Pennsylvania Labor and Industry in the Depression, Special Bulletin no.39 | Sociographics Philladellphia | Commonwealth of Pennsylvania, Department of Labor and Industry |
September | Graphic presentation of the Pennsylvania workmen`s compensation system | Sociographics Philladellphia | Commonwealth of Pennsylvania, Department of Labor and Industry | |
October | Report of the Mississippi Valley Committee of the Public Works Administration | Sociographics Philladellphia | Mississippi Valley Committee of the PWA | |
December | Preliminary Report Pennsylvania State Planning Board to the Hon. Gifford Pinchot Governor of the Commonwealth and to the National Resources Board. Commonwealth of Pennsylvania, Harrisburg Pennsylvania, | Sociographics Philladellphia | Commonwealth of Pennsylvania, Department of Labor and Industry | |
1935 | Jun | State Planning: a review of activities and progress | Sociographics Philladellphia | National Resources Board |
1936 | Jun | Accomplishments of the Works Progress Administration in Pennsylvania, July 1, 1935-June 30, 1936 , | Sociographics Philladellphia | Works Progress Administration for Pennsylvania |
1936 | One year of WPA in Pennsylvania 1935 – 1936 | Sociographics Philladellphia | Works Progress Administration for Pennsylvania | |
1937 | January | Poster for the Mercury Theatre | Philip Ragan | Mercury Theatre |
1937 | May- December | Laborgraphic | Sociographics Philladellphia | Commonwealth of Pennsylvania, Department of Labor and Industry |
1937-1938 | December | Pennsylvania Labor and Industry in the Depression, Bulletin | Sociographics Philladellphia | Commonwealth of Pennsylvania, Department of Labor and Industry |
1938 | Jun | Inventory: an appraisal of results of the Works Progress Administration | Works Progress Administration | |
1938 | October | Keystone Labor and Industry, vol.1 Graphic Supplement | Sociographics Philladellphia | Commonwealth of Pennsylvania, Department of Labor and Industry |
1938 | Nels Anderson, ‘The right to work’ | Sociographics Philladellphia | A new modern age book | |
1940 | January | Charts for ‘War and Peace’ | Philip Ragan | Fortune |
February | Charts for ‘THE U.S. vs. THE WORLD’ etc | Philip Ragan | Fortune | |
May | Chart for ‘RFC’s Disbursements from February 2‘ | Philip Ragan | Fortune | |
October | Carts for ‘U.S. LABOR POOL FOR DEFENSE: AT WORK AND UNEMPLOYED’ | Philip Ragan | Fortune | |
1941 | July | Chart for ‘We Only Have Months ’ | Philip Ragan Associates | Fortune |
August | Chart for ‘Transport: The Peak Is the Problem、THIS IS ALSO, AND CRUCIALLY, A WAR OF THE LIGHT METALS’ | Philip Ragan | Fortune | |
1942 | January | Chart for ‘EUROPE’ | Philip Ragan | Fortune |
1946 | January | Chart for ‘American Productivity’ | Philip Ragan | Fortune |
1947 | October | Chart for ‘THE RIGHT TO MOVE’ | Philip Ragan | Fortune |
以上のグラフィック作品に1940年以降の作品も加えて、これまで確認できたラーガンとソシオグラフィクスのグラフィックを表1にまとめた。この表はあくまでも確認できた断片的な資料をまとめただけで完全なものではないが、1930年代から40年代までの仕事のおおまかな変遷は確認できるだろう。1930年代にはペンシルバニア州の労働産業局の仕事、WPAの仕事などの上述のニューディール関係事業が主流であったが、1940年以降には、WPA関連の仕事は確認できず、代わりに雑誌『フォーチュン(Fortune)』の仕事が散発的に見られる。またこの時期には「Sociographics Philadelphia」の名前も確認できないことから、グループとしての活動は停止と思われ、代わりにチャートのクレジットに一部にはラーガン個人の名称を用いた社名「Philip Ragan Associates」が用いられている。メジャーな一流雑誌フォーチュンでのグラフィックの仕事は、同時代にラーガンのグラフィックの仕事が全米で一定の評価を得ていたことを示唆していよう。特に建築家バックミンスター·フラーがフォーチュン誌の科学顧問となって手がけた最初の特集号に掲載された世界エネルギーマップは、ラーガンのデザインによるものである(図9)。