3.アニメーションにおけるピクトグラムの使用の拡張

ラーガンが本格的にアニメーション制作を開始する契機となった大戦は、北米のアニメーション業界にとっては試練の時期であると同時にプロパガンダや訓練教育用の映画が求められた。大量に制作された。そうした背景から数多くのアニメーションが制作された。代表的な制作組織であるUnited Productions of America(UPA)、Walt Disney Studio、そしてNFBを対象としてインターネット上で確認できるものに限って調査した。その結果、大きく二つの傾向の作品が見られた。すなわち物理的学的地図と人を対象としたピクトグラムのアニメーションである。

地理学的地図と物流

UPAは、1941年に生じたディズニースタジオでのストライキ騒動を契機にそこを解雇されたアニメーターたちによって設立されたアニメーションスタジオである。設立した中心人物の一人であるJohn Hubleyは、戦時下においてアニメーションに生じた状況を、アニメーションのための「新しい言語」が求められたと述べている(Hubley and Schwartz, 1946)。彼によれば、それはディズニーに代表される写実的表現で笑いを伴う方法と、チャートや地図、ダイヤグラムを用いた冷たい方法というふたつの対立する方法の接点の探索を通して探求された。ディズニーとは異なる方向を探求していたUPAのフィルムには、数は多くはないがピクトグラムを用いたアニメーション表現が散見される。たとえば《A few quick facts》シリーズのうちの《Bullet》(1944)や《Lend-Lease》(1944)などがそうしたフィルムである。前者では前線に届けられる兵器がいかに複雑で手間のかかる経路を経て移動しているかが、部分的にピクトグラムを用いて描かれている。《Lend-Lease》では、軽快なマーチのリズムにのって、この制度が説明される。まず隣家に火事があり、その火の粉が我が家にも降りかかる状況が描かれる。隣家の火災を消火するために庭全体のホースが必要だと世界の状況を隣家の火事の比喩を用いて説明される。このシーンで描かれる大胆に省略した背景と対象物はUPA独特のスタイルで描かれているが、後半の地図を背景とした物資の貸与シーンでは、ピクトグラムと見なせる線画が登場する。

《Lend-Lease》(https://www.youtube.com/watch?v=2uq2x0HBSBo

       

これらのピクトグラムは必要とされる武器弾薬等の物品の種類とその貸与対象となる世界地域の位置を表している。位置を示す地図はそのために不可欠となっている。このように、ピクトグラムアニメーションとして識別できるフィルムの多くは、地図をベースにモノの流れを表現したアニメーションである。

ウォルト・ディズニー・スタジオは、軍の依頼によるプロパガンダや訓練用アニメーションを大量に制作したが(Alonge, G,2000)、事情はあまり変わらない。すなわち、ピクトグラムをともなうアニメーションとして確認できる作品の多くは、地図をベースとしたアニメーションである。またそれらはしばしばドキュメンタリーフィルムの一部として用いられている。《A few quick facts》シリーズを企画した信号司令部の大佐フランク・キャプラ(Frank Capra)は、情報フィルム《Why We Fight》(1942-45)で使用する地図やチャートの制作をディズニー・スタジオに依頼しているが、このシリーズのために制作された地図表現においてピクトグラムを用いたアニメーションがいくつか見られる。1945年に制作された《Two Down, one to go!》ではフルカラーのアニメーションがかなりの比重で用いられているが、ドイツイタリアの降伏後の日本攻略のための軍隊の再編を説明する内容に、ピクトグラムが用いられている。

《Two Down, one to go!》(https://www.youtube.com/watch?v=do1-nBjYjdY

NFBの映画では、ラーガンのアニメーション作品の他にピクトグラムのアニメーションはあまり見当たらない。しかし、NFBにおいてもドキュメンタリーの制作が精力的に行われ、そうしたドキュメンタリーに不可欠な要素と考えられていたのが地図であった。代表的なドキュメンタリーシリーズ《World in action》のうち、たとえばソビエトへのドイツの侵攻を描いた《Our Northern Neighbour》(25min. 1944)には描かれた地図の一部に工場などを表す立体表現のピクトグラムが配置されている。

《Our Northern Neighbour》(https://www.nfb.ca/film/our_northern_neighbour/

《Now – the peace world in action》(1945)もドキュメンタリーだが、部分的に戦後の国連による「ひとつの世界」秩序の構築いう目標が立体的な人型のピクトグラムとダイヤグラムによって表現されている。

《Now – the peace world in action》(https://www.nfb.ca/film/now_the_peace/)

 

以上の地図デザインに共通するのは、地平線を球形で描き、さらにピクトグラムそれ自体も立体的に描くなどの立体表現への指向性と、平面から地球議へのスムーズな変換の運動表現など、総じて写実的リアリズムに向かっているということだ。第二次世界大戦時に北米では特に北極圏の重要性が高まり、メルカトール図法に代わり正距方位図表とパースペクティブ地図がジャーナリズムの地図表現の中心となった。世界情勢を地球議を眺める視点が広く市民にも要求されたが、そうした役割を映画の領域で担ったのが、アニメーションだった。この地図を舞台に運動の主役となるのが物資や兵器、兵力を表すピクトグラムなのだった。戦略的な地図とピクトグラムのこうした親和性は、オットー・ノイラートがアイソタイプの代表的歴史的参照対象として戦略図(Military charts)を挙げていたことを改めて想起させるものである(図4)。もっともノイラートは決して地球議のような球面をチャートに取り入れたりはしなかった。

図4 戦略地図、『国際図像言語――アイソタイプ』1936.

「人」を表すピクトグラム

ラーガンの作品のように人を表すピクトグラムを描いたアニメーションは多くはなかった。数少ない事例として、戦時中での公正な大統領選挙のプロモーションをテーマとした映画《Tuesday in November》(1945)がある。この映画では実写のなかに選挙の仕組みを解説するためにJohn Hubleyのディレクションでピクトグラムを含むアニメーションが用いられている。アニメーションのパートの背景はモノトーンで何も描かれてない。その上に描かれた人物像は大統領を除いて目鼻が描かれておらず、非個性的な人物として同じ形象で描かれ、その宙に浮いた円形の頭部と角張った身体は、典型的なピクトグラムの形をしている。他方で、机や議会席などのセットの描写では、いわゆる「ミッドセンチュリー」スタイルの特徴である逆遠近法による奥行き表現や、不定形な歪められた幾何学的性質がアイソタイプのようなリジッドな形象との差異を際立たせている。全体的にピクトグラムの運動はゆるやかで説明的である。

《Tuesday in November》(https://www.youtube.com/watch?v=k_yqznQ_zmg)

人を表すピクトグラムを用いたアニメーションとして、これまで紹介していたアニメーションとは異なる注目すべき事例が1940年代に制作されている。それはディズニースタジオが協力して進められたI.A.リチャーズ(Ivor Armstrong Richards, 1893-1979)によるベイシックイン・グリッシュの視覚教材開発である。プロパガンダ目的ではなく、しかも未完に終わった映画であるが、ベイシック・イングリッシュといえば1930年代にノイラートが関心を持ち、その図解がアイソタイプによって制作されたことを考えるならば、言及しておく価値のある試みであるように思える。

まず、米国でのベイシック・イングリッシュの推進者に触れておく。米国ではベイシック・イングリッシュは、第二次大戦中にカナダや中国などを主たる対象とした非英語話者との簡便な意思疎通言語として注目され、その具体的利用が推進された。中心となったのがリチャーズである。リチャーズは、オグデン(C. K. Ogden, 1889-1957)とともに『意味の意味』を著した英国の文学者であり、オグデン同様に国際平和主義の心情を持っていた(Russo, 1989)。また彼は1930年代に中国で英語教育の経験をもち、そのときの経験からも、ベイシック・イングリッシュのような普遍言語を志向する言語に強い関心を持つようになった。経験主義的な言語観から教材には豊富に図絵が不可欠と考えていたリチャーズは1942年に米国とカナダで4部構成の『Learning the English Language』を出版した。これらの教本のデザインを担当したのがルドルフ・モドレイが主宰するピクトグラフ社であった(図5)。さらにこれらの教本と並行して、リチャーズはロックフェラー財団から資金援助を受けて1942年夏にドローイングの研究を目的にディズニー・スタジオを訪問した。これがきっかけとなり、ディズニー・スタジオがBEのためのアニメーション教材の製作に着手している。

図5. Learning the English language, 1942.

この計画は広く関心を集め、その内容が雑誌や新聞で伝えられている:

ディズニーの漫画家ディック・ケルシー(Dick Kelsey)が描いた「Basic English」は、人の姿と “I “という言葉から始まります。そして、”here “と “there”、”is “と “am”、”this “と “that “などの単語へと簡単に進みます。

それから、次のように続きます。お金のスケッチと “money”、お金を持つ女性と男性、そして “this is my money”、男性が女性に向かって通貨を持ち、”I will give my money to you”、そしてフィナーレの “I give my money to you”。

Basic English, as illustrated by Disney Cartoonist Dick Kelsey, starts with the figure of a man and the word “I.” It progresses simply to such words as “here” and “there;” “is” and “am;” “this” and “that.”

Then there are such sequences as this: A sketch of money and the word “money;” a woman and a man holding money; and the words “this is my money;“ the man holding the currency toward a woman and the words “I will give my money to you,” and the finale “I give my money to you.”

この試作の内容は、雑誌等で紹介されているスケッチでその大凡を知ることができる。人間の像で円形の頭部が宙に浮いた表現となっており、あきらかにピクトグラフ社のピクトグラムを参照していたことを示している。また男女の身体のシルエットなど、ピクトグラフ社のピクトグラムのデザイン様式が確認できる(図6,図7)。

スケッチの人物像には、シルエットの描画と線描のふたつが混在しているが、線描のかたちは独特である。また背景も描かれておらず、陰影も最低減であり、ディズニーとしてはあまり例のない表現スタイルであるが、スケッチから判断する限り、その様式はどこか不安定で、線画とシルエットとの間を揺れ動いているように思える。リチャーズは、人種や国に依存しない形象を求めており、後に出版されるベイシックイングリッシュの教本には、「棒人間」を用いるようになる。そうした点から推測すると、リチャーズは、ディズニーのデザインへ不満を抱いていた可能性がある。また、仮にベーシック英語の教本のアニメーションが制作されていたとするならば、それは棒人間によるアニメーションとなったかもしれない。

図6.ディズニー・スタジオのドローイングを見るリチャーズ、Life, 1943年10月18日
図7.ディズニー・スタジオのドローイング、(The Daily Tribune Wisconsin Rapids,Wisconsin, 1943年10月25日p.4)
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