1.はじめに

公共案内用ピクトグラム(絵記号)は、1980年代以降にISO(国際標準化機構)の主導で標準化が進み、日本では2002年にJIS(日本産業規格)が制定され、2017年にはユニバーサルデザイン2020行動計画の一環としてピクトグラムの追加、改変が行われた。しかし、その際121名の障害者を対象に行われたピクトグラムの適切性調査結果は参考扱いにとどまった。現在でもISOでは、知的障害者は理解度調査の対象外とされ、ピクトグラム標準化の流れの埒外に置かれたままである。他方で、知的障害者にとってピクトグラムという存在が有効であることも認識されており、JIS規格として独自のコミュニケーションシンボルが制定、利用、開発されている(杉野、 2006)。

発表者はこれまで知的障害者を対象として、ピクトグラムのデザインの理解度を中心に研究をおこなってきた。その過程で身体、動作、感情、コミュニケーション表現など標準化ピクトグラムが排除している要素が理解度の向上に有効との知見を得た(工藤、2014:Kudo、 2022 )。他方で、ピクトグラムの歴史研究に接することで、そうした要因を保持している人型ピクトグラムの存在に改めて気づいた。それは1930年代から40年代にかけて特に北米で統計グラフやダイアグラム、さらにはカートゥーン、アニメーションに至るまで広範囲に利用されていたピクトグラム群である(伊原、 2023)。そこで利用されていたピクトグラムは、標準的なピクトグラムを核としつつ、よりフレキシブルに展開されており、発表者らは標準化以前のピクトグラムの歴史を見直すことで、障害者の理解度に寄与するピクトグラムのデザインのヒントを得ることができるのではないかと考えた。この考えに基づき、特に1930年代に北米でピクトグラムを広めた中心人物であるルドルフ・モドレイ(Rudolf Modley、 1906-1976)が開発した多様な人型ピクトグラムを対象として、ピクトグラムの展開事例を探り、デザイン形態の分析と典型の抽出を試みた。さらに、そのデザイン形態を用いて知的障害者を対象に理解度調査を行った。このように、本研究は、歴史研究と知的障害者を対象とした実証研究の二つの方法を組み合わせて実施している。そこで、本発表ではまずピクトグラム標準化の概略史を要約し、1930年代から40年代のピクトグラム資料を探る根拠を示す。次にピクトグラムの資料から実験のための比較資料を取り出す手続きを論じ、その後で、比較資料を用いた実験の実施、結果、考察を行う。

2.方法としての公共案内標準化ピクトグラムの歴史の見直し

20世紀において、公共案内用ピクトグラムの普及と標準化を推進するうえで中心となったのは、道路交通、鉄道、航空関係などの運輸交通組織であった(Bakker、 2015)。20世紀初頭以来、欧州で進められた道路交通標識の普及と国際的統一の動向が標準化の先鞭をつけ、並行して鉄道関係でも国際組織、国際鉄道連盟(UIC)が1930年代に旅客用の図記号を開発していた。航空運輸が飛躍的に発達した戦後になって、航空関連組織が参入した。さらにグラフィックデザイナーの組織をはじめ複数の組織が関わり、それぞれが「孤島のように」ピクトグラムの開発普及を目指す状況が出現していた。そうした状況を是正する標準化という目標については、1950年代後半から組織の間でも共有されるようになり、航空関係組織の活動を受け継いだアメリカ合衆国運輸省(DOT) がグラフィックデザイナーの団体アメリカグラフィックアーツ協会(AIGA)とともに開発したピクトグラムが、1974年に広く公開されたことから、事実上の「標準」として大きな影響を及ぼした。1980年代以降には、ISOが標準化を主導するようになり、ピクトグラムの標準形がしだいに収束していった。その一方で、PICに代表される知的障害者のためのピクトグラムの開発も1990年代からはじまっており、2000年にはPICを元にコミュニケーションシンボルがJIS規格として日本でも制作され、2016年には国際規格化になるなど、公共案内用ピクトグラムとは別の観点から知的障害者のためのピクトグラムが開発されるようになっている。

以上の経緯は、図1のように交通運輸の領域を中心に始まったピクトグラムの標準化がISOなどの国際機構にバトンタッチされた流れとして描くことができる。しかし、本研究で着目するのは、DOTによるピクトグラム公表の2年後に出版されたルドルフ・モドレイによる『ピクトリアルシンボル・ハンドブック』(1976)の存在である。というのもモドレイはピクトグラムの普及と標準化に1930年代から尽力していた人物であり、同書には第二部に集められた同時期の多数の公共シンボルの便覧とともに、モドレイ自身が1930年代から40年代にかけて制作したシンボル、特に多数の人型ピクトグラムが第一部に所収されており、時代の異なるピクトグラムの資料が併載された歴史的資料でもあるからだ。

問題にしたいのは、両者の関係である。標準化に関係する第二部では、同一のイメージ・コンテンツに対して数多くのデザイン・ヴァリエーションがあることが乗り越えるべき問題として提起されている。他方、第一部については、当時まったく評価されなかった (Zwaga & Easterby、 1978)。しかし、そもそも1930年代から40年代に開発されたピクトグラムは、統計グラフやダイアグラム、さらにはカートゥーンやアニメーションなど、公共サインとはまったく異なる用途のために開発されていた。にもかかわらず、そこに収録されたピクトグラム、特に人型のそれを仔細に見ると、豊かな姿勢や動作を持つ多様なピクトグラムのなかに、標準的な形態を持つピクトグラムも存在しており、それらが緩やかに調和しているのである。こうした特徴は、今日の知的障害者を対象として開発されたコミュニーケーション・シンボルのデザインをまさに想起させるものである。20世紀のピクトグラムの標準化が主に推進されてきたのは運輸交通領域であったことから、標準化のデザインには、視認性を重視する思考が強く反映されていたことは否定できない。対して、コミュニケーションを対象としたピクトグラムのデザインは、それとは異なる考え方で評価すべき存在であろう。こうした観点からも、異なる領域で開発された戦前のピクトグラムには、改めて着目する価値があると考えられる。

図1. 20世紀ピクトグラム標準化の系譜の概略
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デザインスタディ

  • 工藤真生
  • 伊原久裕