7.ピクトグラムの「劇化」と図像統計領域からの拡張

「劇化(dramatization)」という用語は1935年から1942年頃まで、モドレイの仕事を紹介する記事などで断続的に用いられている[注22]。モドレイ自身は、図像統計の手法を「社会・経済の劇化」というフレーズで紹介していたが、この語自体は1930年代には視覚文化一般で広く用いられていた[注23]。特に近い用法として指摘できるのは、この時期に写真・映画の領域で興隆したジャンルであるドキュメンタリーを規定する「事実の劇化」という概念である[注24]。こうした背景から、モドレイが劇化という用語を使用したのは、統計データという客観的事実をピクトグラムで人間化する手法として図像統計をアピールするためであったと考えられる。しかし、劇化というコンセプトには演出的技巧を強調する意味もあることから、それがピクトグラムに関しては服装の個性化などに加え、特に姿勢表現のヴァリエーションの産出というかたちで影響を与えたと捉えることができる。実際、前章で確認したピクトグラムのヴァリエーションの豊富さはその現れの一端といえるが、この点は、その後向かったモドレイの方向性にいっそうはっきりと確認できる。

1937年以降、モドレイは「劇化」のアイデアを図像統計の形式のみならず、ピクトグラムを用いたダイアグラムやコミックの領域へと拡張する手がかりとして用いるようになる。この方向性を明確に表明しているのが、社会問題に焦点を当てた編集で著名な雑誌『サーベイ・グラフィック(Survey Graphic)』誌1937年9月号におけるモドレイの新たな活動を伝える記事である[注25]。モドレイは1938年から40年まで同誌の表紙デザインを担当しているが、同記事によると、その仕事は雑誌の記事内容をピクトグラムで構成されるダイアグラムを用いて可視化する「統計データに依存しない新たな試み」であり、「正確さと情報伝達性を確保しつつ、組織の活動や土壌侵食のプロセスなどの事実を簡素化しドラマチックに表現する」実験的な試みとしている。実際、1937年から39年までのサーベイグラフィック誌の表紙の変遷を追うと、このモドレイの「実験」は、図像統計、さらにはダイアグラムの領域を超えて、次第にコミックのジャンルへと拡張し、ピクトグラムを用いた1コマコミック表現がさかんに試みられていたことが分かる[注26]。そして、これが同誌に限った試みでないことは、1938年から39年にかけて1年間『農村電化ニュース(Rural Electrification News)』に連載されたピクトグラムを用いた連続コミックによる農村における電化推進のための広報(図21)からも確認できる。また、平行してモドレイは、1939年の論考でピクトグラムを用いたアニメーションへの展開も視野に含めつつ、連続コミックの動的な「劇化」表現の可能性について論じている[注27]

モドレイによる以上の一連の劇化の試みは、1939年から40年にかけて相次いで制作されたパンフレットのデザインに実際に反映されている。『ニューヨーク入門(The New York Primer)』(1939)、『誰がボス?(Who’s Boss?)』(1940)(図22)、『アメリカは造船する(America Builds Ships)』(1940)、ニューヨーク近代美術館年報(The Years Work, MoMA, 1940)などがその代表であり、それらには図像統計のみならず、イラストレーションから連続コミックまで、多彩な形式を併用した視覚表現が用いられているのである。

図21 連続コミックへの展開事例, (Rural Electrification News, vol. 4, January, p.31, 1939, HathiTrustにて確認)
図22 『誰がボス?』の紙面4例 (Who’s Boss?, National Municipal League, 1940, New York Public Library蔵)

8.考察

これまで、モドレイがまず標準的なピクトグラムを設定し、そこに独自の調整を加えたピクトグラムを基本形態として、劇化の概念に沿ってその用途を拡張してきた道筋を論じてきた。最後に、モドレイのテキストを参照し、標準化と劇化のふたつの関係性について考察する。

まず、標準化については、モドレイは後に以下のように述べている[注28]

アメリカにおける図像統計の展開では、シンボルの過度の標準化は避けられてきた。理念を支える厳密な形態と抽象的な概念が求められるような国際図像言語を作りたいのではなかった。シンボルに生命を吹き込み、新たな観者に適合するようなシンボルを作りたかった。

ここで「過度の標準化」の回避という表現は、標準化を無視したという意味ではない。なぜなら、モドレイの最初の仕事は標準的ピクトグラムの創出にあったからである。ただし、その「標準」のあり方は、国際的でも普遍的でもなく、ドメスティックな社会にとどまるものであったことをこの文章は示唆している。にもかかわらず、それらが「標準的」なピクトグラムたりえるのは、既述したように複数の組織で共有されていたという事実によるところが大きい。この点をふまえて、冒頭で挙げた図2に立ち戻ってみよう(図23として再掲)。この図についてモドレイは以下のように述べている[注29]

アイソタイプで開発されたもの[左端]は最も一般的で、男性と女性、双方の「人(people)」 を表そうとしている。非常に一般的であるために、視覚的および人間的な魅力の一部を失っている。基本的なピクトグラフのシンボル[図2中央4つ]はより人間化され、より具体的だ。これらのシンボルは適合性を満たすようデザインされ、同じ基本的形態から―少し線を加えるだけで―アウトライン図、黒いシルエット、さらに労働者や農夫、あるいは黒人を導き出すことができる。([ ]内は引用者による補足)

この図の左端に置かれているアイソタイプは、もっとも一般的な「人」を表す抽象度の高い記号として象徴的に用いられている。ここでアイソタイプが用いられているのは、実は一般的な「人」を表す記号がPSでは不在であることを示している。モドレイはそれを「視覚的および人間的な魅力を失ったもの」と否定的に表現しているが、代わりに彼が制作したのが、「より人間化され、具体的な」ピクトグラムである。そして、それらのピクトグラムに対応するのが、他の組織との共同で開発された共有可能な「標準的」ピクトグラムであり、さらにモドレイの会社がそれらを元に調整して作り出した独自のピクトグラムであった。

図23(図2を再掲したもの) 抽象度の段階を表したスペクトラムで、左端にアイソタイプ、中央に標準的ピクトグラム、右にそれを調整したピクトグラムが配置されている。
図24 ピクトグラムの連続コミックへの展開(部分) (Picture books for grownups, Journal of Adult Education, 11, p. 155, 1939)

では、アイソタイプを一方の極に、他方に人間化され具体化されたピクトグラムを配置したこの図のスペクトラムにおいて、「劇化」はどのように位置づけられるだろうか。劇化を方向性として捉えると、その方向が「人間化と具体化」に向かう後者のそれと一致することは確かであろうが、この図には服装やわずかな姿勢の違いしか表現されていないことから、そのことは判明ではない。しかし、描かれていないこのスペクトラムの外側を推測することで、潜在的な方向性として「劇化」を位置づけることができる。その可能性を示したのが、図24に示した連続コミック表現の一部である。この事例にはコミック表現でありながら、失業者の表現などにPSに所収のピクトグラムとの造形的共通性を確認できる。コミック表現特有のややラフな表現であるにも関わらず、そこに描かれた身体にもピクトグラムのデザインとの連続性が認められるのである。このように両者を連続するものとして捉えることで、モドレイのピクトグラムの体系において、「標準化」と「劇化」は対立する関係ではなく、両立する関係にあると結論づけることができる。

9.おわりに

1960年代以降のモドレイは、マーガレット・ミード(Margaret Mead, 1901-1978)らとともにGlyphs Inc.を設立し、公共案内用ピクトグラムを中心にその普及と標準化を目標に活動するが、その理念は普遍的で国際的なピクトグラムの確立にあった。前章で議論したように、それはかつてアイソタイプが示唆していた理念でもあったが、当時のモドレイはそれを批判的に捉え、特定の国や地域に即したドメスティックな標準的ピクトグラムを作りだし、さらにはピクトグラムのヴァリエーションの増加につながる劇化のコンセプトを探求していた。しかし、この時期に至り、方向性が大きく変化した。ドメスティックなピクトグラムの方向性はもとより、普遍性を妨げる劇化のような概念が否定的に捉えられ、代わってアイソタイプに代表される国際的理念が称揚されるに至った。モドレイの著書『ピクトグラフィ・ハンドブック』の構成は、およそこのように読解することが可能である。

では、標準的な公共案内用ピクトグラムが普及した現代において、モドレイの1930年代のピクトグラムは時代遅れの過去の産物にすぎないのだろうか。筆者は、ピクトグラムの標準的なあり方と劇化のコンセプトによる演出性を両立させたそのあり方は、現代に対しても有益な知見を与えてくれると考えており、その可能性の一端をコミュニケーション支援絵記号の領域に見出している[注30]。この絵記号は、JIS公共案内図記号との一定の関連性を担保しつつ、コミック出自の表現技法などがふんだんに導入され、知的障害者などにもよりわかりやすい体系になっているからである。本稿で示した1930年代の豊富なピクトグラム資源をより深く参照することで、この領域のさらなる展開を展望してゆきたい。

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歴史研究

  • 伊原久裕