ピクトグラムの歴史研究と題するこのセクションは、3つのテキストで構成しています。いずれも1930年代から40年代の北米を中心に現れたピクトグラムを核とした表現形式を題材にしています。ここでは、ピクトグラムを用いた表現形式を「ピクトグラフ(pictograph)」と呼び、それとピクトグラムとの関係について若干説明しておきます。

「ピクトグラフ」という用語は、絵文字を指す語として「ピクトグラム」と同義に用いられることもあります。実際、OED(Oxford English Dictionary:2nd edition, 1989)を紐解くと、ピクトグラフ、ピクトグラムいずれの項目にも「絵文字(pictorial symbol or sign)」の意味が記載されています。この用法は現代で用いられているピクトグラムの用法とほぼ同様です。しかし、ピクトグラフには、ピクトグラムにはない「図像統計」という意味も第二義として挙げられています。OEDによれば、ピクトグラフのこの用法の初出にあたるのが、ルドルフ・モドレイ((Rudolf Modley, 1906-1976))の著書『How to use pictorial statistics』(1937)です。モドレイは、ウィーンの社会経済博物館というアイソタイプが生まれた組織に関わり、渡米して独自に事業を起こし、活動した人物です。

この著書でモドレイは、通常のグラフが「抽象的」であるのに対し、ピクトグラフは「具象的(concrete)」とピクトグラフの独自性を強調していますが(註1)、ピクトグラフという語のこのような用法は、この時期にはまだ一般的ではなく、もっぱら古代の絵文字を意味していたようです。にもかかわらず、モドレイは図像統計の代わりに「ピクトグラフ」という用語を用い続け、1940年にはモドレイは自らの会社名を図像統計社からピクトグラフ社へと変更しています。モドレイは変更理由について、会社のサービスの規模を「統計はもちろんのこと、カートゥーン、絵解きストーリー、ピクトリアル・ダイアグラム、イラストレーションなどすべての種類のピクトグラフ」に拡大したからというものでした。したがって、この時期には、モドレイは「ピクトグラフ」を図像統計に限定されない「ピクトグラムを用いたグラフィックス全般」を指す用語として用いていたと考えられます。

このウェブ・サイトのタイトルを『ピクトグラム/ピクトグラフ』としたのは、現代において、日常的に目にするピクトグラムという存在を、このようなより広い表現形式の視点から改めて捉え直してみようという意図からです。それによって、標準化の隘路に陥ったかのようにも見える現代のピクトグラムとは異なった経路の可能性を探ってみようというわけです。

以上のことを念頭に、このセクションでは、主に二人の人物の活動を中心に、ピクトグラフという標準化以前のピクトグラムの表現形式の展開を追います。ひとりは、上で言及したルドルフ・モドレイです。彼は、渡米後にピクトグラムを用いた視覚化サービスの活動を開始しますが、当時アメリカでは図像統計を用いたデザイン動向が興隆していました。この動向の中心人物となったのがモドレイでした。のみならず、彼は1960年代からピクトグラム標準化に向けての活動に尽力していることから、アイソタイプの時代と現代の標準化されたピクトグラムとの間を架橋する貴重な存在です。

もう一人がフィリップ・ラーガン(Philip Ragan, 1909-1989)という人物です。彼は建築家を名乗っていましたが、まったく無名の存在でこれまでラーガンを主題とした研究はありません。けれども、このセクションのテキストが示すように、彼と彼が設立したソシオグラフィクス・フィラデルイアという組織は、北米におけるピクトグラフの発展にとって無視できない存在でした。初期ピクトグラムの標準化のためにモドレイに協力したデザイナーもこの組織に所属していましたし、そもそもモドレイの会社がピクトグラムのデザインのために雇用したデザイナーもこの組織の出身者でした。それだけでなく、ラーガンはその後アニメーションの領域に乗り出し、映像制作者として短期間ながらも業績を残しています。

この二人の活動を中心に1930年代から40年代のピクトグラムとそれを用いたピクトグラフの展開を見てゆきます。

  1. Modley, Rudolf, How to use pictorial statistics, Harper & Brothers, p.19, 1937