1.はじめに
ルドルフ・モドレイ(Rudolf Modley, 1906-1976)は、1960年代以降に欧米と日本を中心に興隆したピクトグラムの普及と標準化の運動に貢献した人物として知られている。実際、彼が1976年に出版した著書『Handbook of Pictorial Symbols (邦訳『ピクトグラフィ・ハンドブック』)[注1]は、1960年代から70年代にかけて制作された公共用シンボルを多数収録しており、公共案内用シンボルの標準化の必要性を主張する象徴的な書物のひとつとなっていた。その一方で、モドレイは1920年代後半にオットー・ノイラート(Otto Neurath, 188 2-1945)が開設したウィーン社会経済ミュージアムで研鑽を積み、渡米後ピクトグラムを用いたチャート制作の事業を独自に展開した人物でもあり、そのことをアピールするかのように、同書にはモドレイが1942年に出版した『1000ピクトリアル・シンボル(1000 Pictorial Symbols:以下「PS」と略記)』[注2]に収録されたシンボルが、第1部(表題「ピクトリアル・シンボル」)としてほぼそのまま掲載されていた。ところが、この第1部についての評価は微妙であった。たとえば、モドレイの死後に、彼と協力関係にあった雑誌『グラフィック・デザイン』が同書のシンボルのうち人型シンボルを抜粋して掲載し、それらを「アイソタイプ運動の開発したひとつのモニュメント」と賞賛しつつも、「公共シンボルの問題としては、あまりに多くのヴァリエーションがあることは、バベルの塔を築く結果となって、必ずしも好ましいとは言えない」とその評価に留保をつけている[注3]。
たしかに、PSに収録されたシンボルのうちの約半数(1000のうち462点)を占める人型シンボルを見ると、年齢、人種、性差、職種などの属性を表す豊富な服装や髪型の違いはもとより、属性は同じでも微妙に異なる姿勢を持つヴァリエーションが多く含まれている(図1参照)。すなわち、これらのシンボルは標準化を目指した公共案内用図記号が排除しようとした形態的な冗長性を豊富に有している。他方で、モドレイはシンボル標準化への関心を1930年代からすでに有していたことがこれまでの調査から判明している[注4]。とするならば、標準化を重視する姿勢と標準化から逸脱してゆくかのような実際の傾向とが、モドレイのシンボル体系のなかでどのような関係 にあったのかという疑問が生じてくる。

ここでまず、『ピクトグラフィ・ハンドブック』の前半にまとめられたシンボルは、後半のシンボルとはその用途が大きく異なっていたことに改めて注意する必要がある。すなわち前半のシンボルの主な用途は図像統計グラフ(Pictorial Statistics)をはじめとするさまざまなチャートであり、公共案内用サインはそのなかには含まれていなかった。したがって、前半のシンボルについては、それらが生み出された同時期の文脈と用法のレンズを通して見る必要がある。
同時期のアメリカにおける写真、統計図などによる社会経済事象の可視化について論じた代表的研究として、Loic, C. と Yann, G.による論考「Economics for the Masses」がある[注5]。この論文では、経済史学の立場からアイソタイプを原型とする統計技法のアメリカでの展開を追跡し、それを技法の社会科学的側面がジャーナリスティックな修辞的技法へと変容してゆく過程としてまとめている。しかし情報デザインの視点に立つと、科学的側面とジャーナリスティックな側面との厳密な切り分けは必ずしも容易ではない。そもそもシンボルのデザインについての言及がほとんどない点で、本論文と関心がずれている。
本論文は情報デザイン史の立場から、『ピクトグラフィ・ハンドブック』第一部に収録されたシンボル集の原典にあたるPSに収録されたシンボルを対象として、1930年代から1940年代初頭にかけてのアメリカにおけるシンボルの普及の状況をふまえつつ、モドレイによるシンボルの開発とその展開を探ってゆく。標準的なシンボルの存在とそれから逸脱していくかのようなシンボルのデザイン展開との関係性に光を当てることで、モドレイのシンボルデザインの構成原理を解明し、改めて評価する論点を提示することが本論文の目的である。
なお、図記号を意味する「シンボル」という用語は、現代ではピクトグラムとほぼ同義に用いられるようになっている。その慣例に準じて、本稿ではPSで用いられる「ピクトリアル・シンボル」という名称も含めて、引用は別としてこれ以降はすべて同義語の「ピクトグラム」で統一する。
2.範囲、方針、構成
まず、研究対象の範囲の限定について述べる。PS所収のピクトグラムの形態の造形的特徴を強く表す対象は人型であることから、本研究では、対象を人型ピクトグラムに限定する。
次に考察の方針についてである。人型ピクトグラムの大まかな構成を考えるうえで手がかりとなるのが、彼が作成したピクトグラム一覧の図(図2)である[注6]。この図では、抽象的ピクトグラムの事例としてアイソタイプが左端に置かれているが、それ以外はモドレイが作成したピクトグラムである。右側にはより具体的で個別的な人型を表すピクトグラムが配置されていることから、この図は一般性・抽象性と個別性・具象性を両極とするピクトグラムのスペクトラムを表していると考えられる。この図の詳細については後で論じるが、ここで注目されるのが、この図の中央に置かれたピクトグラム群(左2つ目から5つ目までの4つ)である。それらはアイソタイプとも、また右端のふたつのピクトグラムともその形状があきらかに異なっており、スペクトラムの中間に位置する基本的な形態であると推定できる。したがって、まず解明すべきなのは、この「基本的な」ピクトグラムのあり方である。

あらかじめ述べておくと、この基本的ピクトグラムの出現には、モドレイの組織のみならず、アイソタイプに影響を受けて登場した複数の組織が関わっている。すなわち、モドレイは彼の組織以外の組織と連携することでこの基本的ピクトグラムを開発していた。そこで、モドレイの組織とそれ以外の組織との関係に注目し、それらの組織のピクトグラムの比較分析によって基本的なピクトグラムの導出過程とその特性を探り、それを「標準的」ピクトグラムとして位置づける(第3章、第4章、第5章)。
モドレイのピクトグラムは、この標準的な人型が確立された後に、さまざまなヴァリエーションを生み出すに至ったと推定される。そこで、次に代表的な図像統計を抽出し、そこで用いられているピクトグラムの事例の観察を通して、ヴァリエーション創出の基本的要因を探る(第6章)。さらにもともとのピクトグラムの主な用途であった図像統計の領域を逸脱し、拡張してゆくモドレイの試みを参照し、ヴァリエーション創出の導き手を「劇化」というコンセプトに求める(第7章)。最後に、ピクトグラムにおける標準化と劇化の関係性を考察し、そのデザイン原理を定式化する(第8章)。
なお、資料については、関連ウェブサイトでの調査はもとより、主にニューヨーク公共図書館で調査を行い、モドレイが関わって制作したチャートを含む出版物について可能な限り現物を確認した[注7]。