3.標準的ピクトグラム創出に関わった組織

PSのなかで一般的な人や男女を表すもっとも基本的な形態は、これまでの調査で1935年10月に連邦緊急救済局から発行されたパンフレット『支援(On Relief)』[注8]で初めて現れたことが分かっている。この報告書はいずれもモドレイの組織のみならず他の組織関係者も関わって制作されていた。そこでモドレイの会社以外の組織の活動についても考慮する必要がある。そもそも先行研究でもこの点は見逃されており、結果として混乱した記述も散見されることから[注9]、同時代においてモドレイの組織と平行して活動していた他の組織についても言及し、その後で改めて同書に現れた基本的なピクトグラムについて論じることとする。

3.1.モドレイの図像統計社(Pictorial Statistics Inc.)

モドレイはウィーン社会経済ミュージアムに勤務後1930年に渡米、以降アメリカで独自の図像統計の制作をはじめている。1933年から34年にかけてノイラートのアメリカ招聘を目的とした組織のフィールド・セクレタリーとして活動していた、そのあいだにモドレイはいくつかチャートを制作している。最初のものは1933年2月にニューヨーク・タイムズ紙のチャートであり、次に同年11月、全国復興庁(National Industrial Recovery Act(NRA))の活動に伴って頻発した労働争議を主題としたチャートを雑誌『Fortune』のために制作している。1934年2月には、20世紀ファンド社の調査報告書『株式市場の制御(Stock Market Control)』[注10]のためにチャート9点をデザインしているが(図3)、この仕事がおそらく最初のまとまったグラフィックの仕事であった。モドレイは1934年春頃から図像統計社の開設を準備し8月に設立、独自の事業を開始する。初期にはコロンビア大学建築学科出身のヘンリー A.グラント(Henry Adams Grand:生没年不詳)が専属デザイナーとして従事していた。

モドレイが活動をはじめた1934年には複数の組織が独自に図像統計を制作し始めており、ここではそのなかのふたつの組織、連邦緊急救済局(Federal Emergency Relief Administration)のResearch Section内に設置されたグラフィック・ユニット(以下同ユニットを「FERA」と略記)とソシオグラフィクス・フィラデルフィア(Sociographics Philadelphia)が重要である。

図3 モドレイがデザインしたチャート, (Evans, C., Stock Market Control, February, p. 58, 1934, 個人蔵)

3.2. 連邦緊急救済局グラフィックユニット(FERA)

連邦緊急救済局は1933年3月にアメリカ大統領に就任したフランクリン・デラノ・ローズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882–1945)のもとで制定された連邦緊急救済法を受けて設立された組織である。同組織の事業目的のひとつに飢餓や失業などの恐慌の実態に関する統計データの収集分析があり、統計学者コリントン・ジル(Corrington Gill, 1898–1946) の指導で研究統計財務課(the Division of Research Statistics and Finance)がその任に当たった。ここで得られた重要な社会的データをわかりやすく整理し納税者に公表する必要性があったことから設立されたのが、「グラフィック・ユニット」である。同ユニットについてはこれまでほとんどの紹介がなされていないので、やや詳しく記述する[注11]。当初このユニットは恒常的に収集された統計グラフや地図の作図を制作していたが、1934年にはグラフの製図にとどまらずより効果的な方法として図像統計が注目されはじめた。この時点での同ユニットのメンバーは、セオドア・ユング(Theodore Jung, 1906 –1996)、マーシャル・シャファ(Marshall A. Shaffer, 1899-1955),バーンズ・プライス(Burns Price, 生没年不詳), ヘンリー・ガイガー(Henry Geiger, 生没年不詳)である。中心人物はシャファで建築家であった。ユングは製図を担当していたが、後に写真担当に代わった。ガイガーについては経歴、貢献内容のいずれも不明である。プライスはピクトグラムのデザインを担当したイラストレータであり、1930年代を通して同ユニットに在籍し続けた唯一の人物であったことから、FERAのなかで重要な役割を果たしたものと推定される。

FERAの最初の本格的な図像統計の仕事は、パンフレット『アメリカ合衆国経済安全保障委員会における経済安全保障の必要性(The Need for Economic Security in United States Committee on Economic Security:以下「経済安全保障の必要性」と略記)』( 1934年11月)の制作であった。このパンフレットは、1934年11月にローズヴェルトが招集した「国家社会福祉会議(National social welfare conference)」の開催に合わせて、その調査結果を報告するために制作されたものである[注12]。完成したパンフレットは、旧レターサイズ(8inch×10.5inch)横長の体裁で、15の図像統計チャートが掲載されていた。チャートのレイアウトとともに、ピクトグラムのデザインにアイソタイプの影響がはっきり見られる(図4)。

図4 FERAが最初にデザインした報告書のチャート(The Need for Economic Security, n.p.,, July, 1934, Southern Regional Library, University of California蔵)

3.3. ソシオグラフィクス・フィラデルフィア

ソシオグラフィクス・フィラデルフィア(Sociographics Philadelphia, 以下「SOP」と略記)という名のグループは、ペンシルバニア大学建築学部建築学科の卒業生フィリップ・ラーガン(Philip Ragan, 1909-1989)を中心に1934年に結成された。SOPの名を確認できる最初の出版物は、管見の限り1934年7月に発刊されたペンシルバニア州労働産業局紀要特別号『恐慌下のペンシルバニアにおける労働産業(Pennsylvania labor and industry in the Depression)』である [注13]。この小冊子には労働災害補償を中心に、恐慌の実情とその対策の効果に関する統計データが、アイソタイプに影響された技法で可視化された多数のチャートが掲載されていた(図5)。加えてこの紀要には、グループの19名のメンバーの名が掲載されており、その多くは失業中の建築家たちであった[注14]

図5. SOPのデザインしたチャート(Pennsylvania labor and industry in the Depression, n.p., November, 1934, 個人蔵)

4.共同作業の経緯

『支援』はこれらの組織関係者が共同で制作した出版物であるが、共同作業には前史がある[注15]。この作業に先立つ約1年前の1934年秋に図像統計社とSOPは、ニューディールで設立された連邦政府関連機関の報告書である『PWAミシシッピ峡谷委員会報告書(Report of the Mississippi Valley Committee of the Public Works Administration)』(1934年10月)[注16]および『ナショナルリソース委員会報告書(National Resources Board Report)』(1934年12月)[注17]のチャートの制作に共同で関わっていた。前者のチャート制作の担当者は、モドレイならびに図像統計社のデザイナー、フランツ・ヘス(Franz C. Hess, 1896-1975)、そしてSOPのラーガンであり、後者はモドレイとSOPのメンバーのカルヴィン・バンウェル(Calvin A. Banwell、生没年不詳)、H.C.ウッド(H. C. Wood、生没年不詳)の2名がディレクションを担当している。ただし、これらふたつの報告書ではSOPと図像統計社それぞれのクレジットが入ったチャートがひとつずつあるだけで、チャートとピクトグラムの双方のデザインの傾向は大きく異なっている。したがって、共同作業といってもふたつのグループが、別々にチャートをデザインし、それらを寄せ集めたのが実情のようである。肝心のピクトグラムのデザインについては、SOPのデザインは幾何学的傾向の強い個性的なデザインであり、他方モドレイ側が制作したピクトグラムはアイソタイプの強い影響受けたデザインである(図6-1、6-2、7-1,7-2)。

図6-1 『PWAミシシッピ峡谷委員会報告書』のチャート。SOPによるデザイン (p.70)(October, 1934,個人蔵)
図6-2 『PWAミシシッピ峡谷委員会報告書』のチャート。図像統計社(p.48)のデザイン(October, 1934,個人蔵)
図7-1 『ナショナルリソース委員会報告書』のチャート。SOPのデザイン (p.365)(December, 1934, 個人蔵)
図7-2 『ナショナルリソース委員会報告書』のチャート。図像統計社(p.330)のデザイン(December, 1934, 個人蔵)

これら二冊の報告書のチャートと大きく異なっているのが、『支援』のチャートである。『支援』は連邦緊急救済局が発行元であることから主体はFERAであり、基本的体裁については前年にFERAが作成したパンフレット『経済安全保障の必要性』に準じている。加えて、ディレクションとしてモドレイとバンウェルが共同で参加していることから、形式としてはモドレイとSOP関係者ならびにFERAの三者が共同で制作したことになる。そしてその結果、全体が統一されたデザインのチャートのみならず、まったく新しいデザインのピクトグラムが登場した。そして、これこそ、モドレイがその後も継続して使用する「標準的」なピクトグラムである(図8)。

図8 『支援』のチャート。モドレイとバンウェルのディレクション、制作はFERA(n.p., October, 1935, 個人蔵)
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